もうこのままで
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October 7, 2012
【No Country】ノーカントリー part5【For Old Men】
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1219735740/
574 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2008/10/14(火) 02:18:25 ID:oTCxnFNr
ネタばれ注意
猫屋敷のシーンは昔がよかったかどうかの答えが明確に提示され、それにより
昔はよかったと現実を見ずに決めつけるあの一般人の代表である保安官(観客含め)が
そういいきれないという事実に気づくかどうかのシーンであって
映画の結論ではないと思うよ。
ここでのもっとも重要なやり取りは、無惨におじが撃ち殺されたのがいつかと聞くトミーに
このおっさんが(賢人として描かれている)1909年かなと100年近くも前であることを
告げたのに、トミーはすかさずそうじゃない、知りたいのは死んだのがすぐだったかその日の夜か
ときくところ。ここでも自分の思い込みから昔も悲惨だったという事実に気づかない。
しかし潜在的に長期的に物事を認識できていることは、ラストの夢のシーンで示される。
ひとつ目の夢がそれ。正確な時間認識にもとづき、父の年を越してしまった自分がいる。
また内容的にも何か現実的であるところがミソ。
二つ目の夢が過去へのファンタジーだ。しかもそれは決して不健全なものとして
表現されていないのがうまい。親への信頼と愛情であり、それを否定できるものはいない。
過ぎし日のすべてを美しく錯覚するのは幸せに生きるための能力とも言える。
47-494 :
名無シネマさん
2011/08/03(水) 12:48:45.21 ID:0iA4oKNe
575 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2008/10/14(火) 02:38:44 ID:oTCxnFNr
この映画は「昔はよかった、てのはまちがい」がいちばん大切なメッセージや結論ではなく、
なぜ「人は昔がよかった」と思うのか、それはなぜでそれはどんな人なのかを
描くことこそが目的だと思われる。映画という表現手法ならではの試みと言える。
そしてそれは決してバカだからでも、ちゃらんぽらんだからでもなく、
むしろ誠実で、先人に対して敬意を払い、どっちが犯罪者かわからんような奴でもなんとか
助けようとし、最近の悪質で異常な犯罪に対して憤り、自らを厳しく問うて仕事を辞め、
その人生にふさわしく、やさしい妻のいるなんでもできる老後を迎える人物なのだ。
ただまあ哲学者、歴史家などではないがゆえに、目の前の現実に翻弄されてしまっている
我々の多くだ。
なんといっても昔と変わらぬ部分に気づきにくくする、激しく変化する現実がそこにある。
それを新しいんだか古いんだかわからない(ここもポイントだな)武器を使う
(ピコピコ発信器まで)現代的犯罪者臭いっぱいのサイコやろうに代表させている。
ここで変わる部分と変わらない部分が本当は両方あるうち、変わる部分ばかりを否応なく
意識させられることになる。結果昔はよかったと。
ヒントは張り巡らされていて、立場も生き様も違いながらも、人間の本質は大きく違わないという
意味で(変化に対する不変)追われるヒゲとサイコの行動形態や人としての皮肉な運命までもが
驚くほどいっしょだったり(執拗に丁寧に描かれている。冒頭部の金はとったけど水は飲ませよう
とする善意、ラスト近くの殺人鬼が守る青信号wというまともさがそれぞれ最も悲惨な結果を
生む対称性が見事)、ヒゲがベトナム兵だったり(保安官はこれは戦争だ、という。しかしほんの
少し前にベトナムという地獄があったわけでそこでは人は虫けらのように殺されていた。しかし
そこには気づかない)てところがまたミソなんだけど長くなるのでえーかげんにしますわ
長文スマソ
47-495 :
名無シネマさん
2011/08/03(水) 12:51:14.24 ID:0iA4oKNe
586 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2008/10/15(水) 00:26:51 ID:qkDXUp1v
»574»575だがほめてくれる人がいるので、調子のって
もうちょっと気づいたことを書こうと思う。
この映画は対称構造と共通性、○と言えば今度は×と言う事実(真理?)も突きつけつつ、
プラスここんとこでは根はいっしょみたいな、
そういうバランスのとり方を随所にちりばめていてそこがすごく面白いのだが、
なんといっても、最大の対称関係はモスとシガーだろう。
モスとは何か。これは、保安官ベルにとっての「理解できる昔型の犯罪者」だ。
しかも、どちらかというと悪人というよりまさに見た通りのカーボーイ。古き良きアメリカ
のイメージだ。大金が手に入る、欲しい、だから盗むというわかりやすすぎる動機。
嫁を愛し、金のことも隠さず、来るものは拒まず、一貫して男らしく対決していく勇敢なる男。
嫁はと言えば逃げない夫の生き様をしっかり理解し、声を聞いただけで負傷したことに気づく
ほど愛し抜き、あくまで夫の言う通りついていく。離婚があたりまえになる前の美しき夫婦像だ。
一方シガーとは、まさにベルの全く理解できない冒頭で本人の言う「会いたくもない
そんな奴のために命を投げ出すのはまっぴらゴメンな」輩、
「理解できない現代の犯罪者」だ。わからない記号満載の、国籍も武器も何とも不明な
キャラクター造形が見事だ。
47-496 :
名無シネマさん
2011/08/03(水) 12:51:37.50 ID:0iA4oKNe
587 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2008/10/15(水) 00:54:15 ID:qkDXUp1v
この追うものと追われるもの、まったく違うタイプの2人の犯罪者に、まるでマンガのような
驚くべき同質性をコーエン兄弟は描き出す。冒頭のかたや野生生物を、かたや人間を殺そうとする
ときのセリフが同じ。「じっとしていてくれ」以後、独自の自分ルールの生き様、ピンチでは
金でシャツを手に入れるやり方、極めつけは»575に書いた、犯罪者ながら人としてまともな
行為を行っているまさにその最中に最悪の事態が勃発するという人生の皮肉まで同じ。この
エピについては時間軸としてもかたや冒頭あたりで、かたやラスト付近で出す対称性への
こだわりが徹底していてあきれる。
この同質性はベルが知る由もない。モスの生き様は知るが、殺人コインの件はわからない。
つまりこれは、観客である我々へのヒントだ。確かにいまの犯罪は昔と違うが、
人間としての(性質だけでなく運命までも含めた)根底にある部分に理解できる共通項は
ないのかと。
そして昔はよかったというベルのよくある妄想(夢でありあのラストの残酷極まりないセリフへと
つながる)は、»574に書いたがここで断ち切られる、はずだった。が、彼は気づかない。
ここでもしつこくコーエン兄弟は物事を対置していく。
死の淵で苦しむ叔父を冷たく見ていた強盗の残虐性を現代の異常犯罪(の代表)と比べさせる
仕掛けがあるのが、次のシガーによる嫁の殺人シーンだ。ここで嫁の殺人が描かれていないのは、
ここで重要なのはそこではないからだと思われる。大切なのはその前にある。
シガーはここで助けを求める嫁にチャンスを与え、コイントスを行う。
ただ冷たく見ていた100年ほど前の強盗より、むしろここはほんの少しまともなのである。
われわれはコイントスをクリアできれば、シガーはこの嫁をほんとに殺さないことを
ストアのシーンで知っている。(この映画伏線効きまくり)しかし殺されたことは
ホテルでのきざ男殺人シーンから、靴の裏確認でわかるのだ。
これでも昔はよかったで片付けるのか?と問いを突きつける。
そして映画は最も重要なラストののどかなシーンへとなだれ込む。
47-497 :
名無シネマさん
2011/08/03(水) 18:08:40.11 ID:0iA4oKNe
637 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2008/10/17(金) 01:53:02 ID:wY1HNcx0
»636のつづき
さて、さいごに保安官の金である。
夢で見た父親から渡された金。これは何か。
金額は二百万ドルに遠くおよばないが
これはこの中で最も価値ある金だ。
かけがえのない親の愛情であり、
モスやシガーが喪失した質素だがあたたかい日常である。
金そのものは必要でふつうの道具であることもわかる。
二つ目の夢のように美化されていない、
現実的な夢だ。
が、彼はそれに気づかない。
その金に象徴された、
明らかな幸せを手にしているというのに、
感謝より先に口から出る言葉は、
いまの世の中はどうなってる、昔はよかった。
現状を憂えるのはいいだろう。
だが、それだけなのだ。
47-498 :
名無シネマさん
2011/08/03(水) 18:09:18.84 ID:0iA4oKNe
638 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2008/10/17(金) 02:02:45 ID:wY1HNcx0
»637のつづき
(ここでリクエストに答えてちょっとヒント:
ラストシーンの冒頭の妻のいれたコーヒーが
じつは夢や最後のセリフの意味を明確化するための
ちょっとしたアイテムとなっているんだけど・・気づいた?)
こうして老保安官は、
目の前にあるささやかだが価値ある幸せをあっさり見失うと、
すやすやと二つ目の夢、
美化されたいとおしい過去にどっぷりとひたるのである。
二つ目の夢は「昔はよかったいまはおかしい」としか
見ない老人の、美化された過去のファンタジーだ。
昔のように保安官は子どものままで、父は大人だ。
現実的に歳を追い越すような、はじめの夢とは違う。
だがこの夢自体の存在は決して否定されるべきではないだろう。
あたたかく、美しく、
幻想的で父親の愛情に深く守られた幸せな夢である。
暗く寒く、毛布を羽織っているあたりに
過去にも苦闘があったことは示唆されているが、
大いなる安心感がそれを上回る。
誰もがこうした夢を持つべきだし、持てていることは
幸せなことだと思う。誰にも盗まれず、なくすこともない。
が、問題は現実と対峙することなく、この幻想の中だけに、
この保安官がずっととどまり、生き続けることにある。
47-499 :
名無シネマさん
2011/08/03(水) 18:10:17.18 ID:0iA4oKNe
639 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2008/10/17(金) 02:17:43 ID:wY1HNcx0
»638のつづき
そして保安官はこういう。
そして、目が覚めた、と。
これはかなり残酷なセリフである。
保安官よ、残念ながらあなたは全く目覚めちゃいない、
目を開けても、あなたは昔はよかった、
という自分の望む夢の中を頼りなく歩くだけ。
いまの社会はなんだ?まったく理解できん、
なんでこんな世の中になったんだと、
これからも現実の変化と不変という両側面の存在に
きちんと対峙し「目覚める」ことなく
自らを変え、進歩させることなく嘆きながら
生きていくのだろうと。
トミーリーの何ともおろかそうな表情と、
やさしい妻の哀れむような表情が印象的だ。
そしてここでついに、この三者、
モス、シガー、保安官の同質な存在としての
一面が明らかとなる。
この映画の核心部分だ。
その硬直した生き方を、現実を直視して
前向きに変えていくということが、
できないのだ。
タイトルの意味はここで明らかになる。
47-500 :
終わります
2011/08/03(水) 18:10:53.52 ID:0iA4oKNe
640 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2008/10/17(金) 02:26:45 ID:wY1HNcx0
»639のつづき あーしんど。自分で言ったもののw もう少しだあ
タイトルの意味はここで明らかになる。
老人だからold men なのではない。
心が老い、使い古されたものにしがみつくから、
old men(複数形なのはそこに意味がある)なのだ。
有名な青春という詩のまさに対局にある生き様だ。
(もちろんoldにはいい意味もある。
ここでは悪い方だが。日本語に
年の功と老いぼれがあるのと同じ)
現実を直視し、それにあわせ
かたくなで古い生き方から脱皮できないものに
都合のいい国など、この世にありはしない。
NO COUNTRY FOR OLD MEN なのだ。
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1219735740/
574 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2008/10/14(火) 02:18:25 ID:oTCxnFNr
ネタばれ注意
猫屋敷のシーンは昔がよかったかどうかの答えが明確に提示され、それにより
昔はよかったと現実を見ずに決めつけるあの一般人の代表である保安官(観客含め)が
そういいきれないという事実に気づくかどうかのシーンであって
映画の結論ではないと思うよ。
ここでのもっとも重要なやり取りは、無惨におじが撃ち殺されたのがいつかと聞くトミーに
このおっさんが(賢人として描かれている)1909年かなと100年近くも前であることを
告げたのに、トミーはすかさずそうじゃない、知りたいのは死んだのがすぐだったかその日の夜か
ときくところ。ここでも自分の思い込みから昔も悲惨だったという事実に気づかない。
しかし潜在的に長期的に物事を認識できていることは、ラストの夢のシーンで示される。
ひとつ目の夢がそれ。正確な時間認識にもとづき、父の年を越してしまった自分がいる。
また内容的にも何か現実的であるところがミソ。
二つ目の夢が過去へのファンタジーだ。しかもそれは決して不健全なものとして
表現されていないのがうまい。親への信頼と愛情であり、それを否定できるものはいない。
過ぎし日のすべてを美しく錯覚するのは幸せに生きるための能力とも言える。
この映画は「昔はよかった、てのはまちがい」がいちばん大切なメッセージや結論ではなく、
なぜ「人は昔がよかった」と思うのか、それはなぜでそれはどんな人なのかを
描くことこそが目的だと思われる。映画という表現手法ならではの試みと言える。
そしてそれは決してバカだからでも、ちゃらんぽらんだからでもなく、
むしろ誠実で、先人に対して敬意を払い、どっちが犯罪者かわからんような奴でもなんとか
助けようとし、最近の悪質で異常な犯罪に対して憤り、自らを厳しく問うて仕事を辞め、
その人生にふさわしく、やさしい妻のいるなんでもできる老後を迎える人物なのだ。
ただまあ哲学者、歴史家などではないがゆえに、目の前の現実に翻弄されてしまっている
我々の多くだ。
なんといっても昔と変わらぬ部分に気づきにくくする、激しく変化する現実がそこにある。
それを新しいんだか古いんだかわからない(ここもポイントだな)武器を使う
(ピコピコ発信器まで)現代的犯罪者臭いっぱいのサイコやろうに代表させている。
ここで変わる部分と変わらない部分が本当は両方あるうち、変わる部分ばかりを否応なく
意識させられることになる。結果昔はよかったと。
ヒントは張り巡らされていて、立場も生き様も違いながらも、人間の本質は大きく違わないという
意味で(変化に対する不変)追われるヒゲとサイコの行動形態や人としての皮肉な運命までもが
驚くほどいっしょだったり(執拗に丁寧に描かれている。冒頭部の金はとったけど水は飲ませよう
とする善意、ラスト近くの殺人鬼が守る青信号wというまともさがそれぞれ最も悲惨な結果を
生む対称性が見事)、ヒゲがベトナム兵だったり(保安官はこれは戦争だ、という。しかしほんの
少し前にベトナムという地獄があったわけでそこでは人は虫けらのように殺されていた。しかし
そこには気づかない)てところがまたミソなんだけど長くなるのでえーかげんにしますわ
長文スマソ
»574»575だがほめてくれる人がいるので、調子のって
もうちょっと気づいたことを書こうと思う。
この映画は対称構造と共通性、○と言えば今度は×と言う事実(真理?)も突きつけつつ、
プラスここんとこでは根はいっしょみたいな、
そういうバランスのとり方を随所にちりばめていてそこがすごく面白いのだが、
なんといっても、最大の対称関係はモスとシガーだろう。
モスとは何か。これは、保安官ベルにとっての「理解できる昔型の犯罪者」だ。
しかも、どちらかというと悪人というよりまさに見た通りのカーボーイ。古き良きアメリカ
のイメージだ。大金が手に入る、欲しい、だから盗むというわかりやすすぎる動機。
嫁を愛し、金のことも隠さず、来るものは拒まず、一貫して男らしく対決していく勇敢なる男。
嫁はと言えば逃げない夫の生き様をしっかり理解し、声を聞いただけで負傷したことに気づく
ほど愛し抜き、あくまで夫の言う通りついていく。離婚があたりまえになる前の美しき夫婦像だ。
一方シガーとは、まさにベルの全く理解できない冒頭で本人の言う「会いたくもない
そんな奴のために命を投げ出すのはまっぴらゴメンな」輩、
「理解できない現代の犯罪者」だ。わからない記号満載の、国籍も武器も何とも不明な
キャラクター造形が見事だ。
この追うものと追われるもの、まったく違うタイプの2人の犯罪者に、まるでマンガのような
驚くべき同質性をコーエン兄弟は描き出す。冒頭のかたや野生生物を、かたや人間を殺そうとする
ときのセリフが同じ。「じっとしていてくれ」以後、独自の自分ルールの生き様、ピンチでは
金でシャツを手に入れるやり方、極めつけは»575に書いた、犯罪者ながら人としてまともな
行為を行っているまさにその最中に最悪の事態が勃発するという人生の皮肉まで同じ。この
エピについては時間軸としてもかたや冒頭あたりで、かたやラスト付近で出す対称性への
こだわりが徹底していてあきれる。
この同質性はベルが知る由もない。モスの生き様は知るが、殺人コインの件はわからない。
つまりこれは、観客である我々へのヒントだ。確かにいまの犯罪は昔と違うが、
人間としての(性質だけでなく運命までも含めた)根底にある部分に理解できる共通項は
ないのかと。
そして昔はよかったというベルのよくある妄想(夢でありあのラストの残酷極まりないセリフへと
つながる)は、»574に書いたがここで断ち切られる、はずだった。が、彼は気づかない。
ここでもしつこくコーエン兄弟は物事を対置していく。
死の淵で苦しむ叔父を冷たく見ていた強盗の残虐性を現代の異常犯罪(の代表)と比べさせる
仕掛けがあるのが、次のシガーによる嫁の殺人シーンだ。ここで嫁の殺人が描かれていないのは、
ここで重要なのはそこではないからだと思われる。大切なのはその前にある。
シガーはここで助けを求める嫁にチャンスを与え、コイントスを行う。
ただ冷たく見ていた100年ほど前の強盗より、むしろここはほんの少しまともなのである。
われわれはコイントスをクリアできれば、シガーはこの嫁をほんとに殺さないことを
ストアのシーンで知っている。(この映画伏線効きまくり)しかし殺されたことは
ホテルでのきざ男殺人シーンから、靴の裏確認でわかるのだ。
これでも昔はよかったで片付けるのか?と問いを突きつける。
そして映画は最も重要なラストののどかなシーンへとなだれ込む。
»636のつづき
さて、さいごに保安官の金である。
夢で見た父親から渡された金。これは何か。
金額は二百万ドルに遠くおよばないが
これはこの中で最も価値ある金だ。
かけがえのない親の愛情であり、
モスやシガーが喪失した質素だがあたたかい日常である。
金そのものは必要でふつうの道具であることもわかる。
二つ目の夢のように美化されていない、
現実的な夢だ。
が、彼はそれに気づかない。
その金に象徴された、
明らかな幸せを手にしているというのに、
感謝より先に口から出る言葉は、
いまの世の中はどうなってる、昔はよかった。
現状を憂えるのはいいだろう。
だが、それだけなのだ。
»637のつづき
(ここでリクエストに答えてちょっとヒント:
ラストシーンの冒頭の妻のいれたコーヒーが
じつは夢や最後のセリフの意味を明確化するための
ちょっとしたアイテムとなっているんだけど・・気づいた?)
こうして老保安官は、
目の前にあるささやかだが価値ある幸せをあっさり見失うと、
すやすやと二つ目の夢、
美化されたいとおしい過去にどっぷりとひたるのである。
二つ目の夢は「昔はよかったいまはおかしい」としか
見ない老人の、美化された過去のファンタジーだ。
昔のように保安官は子どものままで、父は大人だ。
現実的に歳を追い越すような、はじめの夢とは違う。
だがこの夢自体の存在は決して否定されるべきではないだろう。
あたたかく、美しく、
幻想的で父親の愛情に深く守られた幸せな夢である。
暗く寒く、毛布を羽織っているあたりに
過去にも苦闘があったことは示唆されているが、
大いなる安心感がそれを上回る。
誰もがこうした夢を持つべきだし、持てていることは
幸せなことだと思う。誰にも盗まれず、なくすこともない。
が、問題は現実と対峙することなく、この幻想の中だけに、
この保安官がずっととどまり、生き続けることにある。
»638のつづき
そして保安官はこういう。
そして、目が覚めた、と。
これはかなり残酷なセリフである。
保安官よ、残念ながらあなたは全く目覚めちゃいない、
目を開けても、あなたは昔はよかった、
という自分の望む夢の中を頼りなく歩くだけ。
いまの社会はなんだ?まったく理解できん、
なんでこんな世の中になったんだと、
これからも現実の変化と不変という両側面の存在に
きちんと対峙し「目覚める」ことなく
自らを変え、進歩させることなく嘆きながら
生きていくのだろうと。
トミーリーの何ともおろかそうな表情と、
やさしい妻の哀れむような表情が印象的だ。
そしてここでついに、この三者、
モス、シガー、保安官の同質な存在としての
一面が明らかとなる。
この映画の核心部分だ。
その硬直した生き方を、現実を直視して
前向きに変えていくということが、
できないのだ。
タイトルの意味はここで明らかになる。
»639のつづき あーしんど。自分で言ったもののw もう少しだあ
タイトルの意味はここで明らかになる。
老人だからold men なのではない。
心が老い、使い古されたものにしがみつくから、
old men(複数形なのはそこに意味がある)なのだ。
有名な青春という詩のまさに対局にある生き様だ。
(もちろんoldにはいい意味もある。
ここでは悪い方だが。日本語に
年の功と老いぼれがあるのと同じ)
現実を直視し、それにあわせ
かたくなで古い生き方から脱皮できないものに
都合のいい国など、この世にありはしない。
NO COUNTRY FOR OLD MEN なのだ。
— ノーカントリー
September 26, 2012
れてきていたが、彼らが大高を攻撃する大石さんに決死の覚悟で挑むような事はなかった。恐らく大高の肩書きが持つ力で得ただけの子分だったのだろう。
そういう意味ではこの両者には、圭一や梨花たちのいかな逆境にあろうと崩れない鉄の結束と、鷹野さんが築き上げてきた風向きの変化だけで脆くも崩れ去ったギブアンドテイクの繋がりとの違いの例が、そのまま当てはまりそうだ。
直接やりあったのは大石さんと大高であって、それぞれを中心に結びついた集団同士がぶつかりあったわけではないが、その中心人物の器の大きさは、作り上げた集団の性質に如実に現れているだろう。
人と人とが手を取り合えば大きな力を発揮する。そして大きな力を持ち、強く結束した集団を纏め上げるリーダーは、単独でも優れている。もとよりふたりには大きな能力差があったのだ。
罪滅し編ではどうにか上手くいきかけたところで余計なちょっかいをだされてしまいましたが、あちらでの状況と違って雛見沢の仲間たちにあの場を託されたこちらの大石さんは、まさに本気の本気とでも言うべき状態であり、集団を纏め上げて背負うリーダーとしての
そういう意味ではこの両者には、圭一や梨花たちのいかな逆境にあろうと崩れない鉄の結束と、鷹野さんが築き上げてきた風向きの変化だけで脆くも崩れ去ったギブアンドテイクの繋がりとの違いの例が、そのまま当てはまりそうだ。
直接やりあったのは大石さんと大高であって、それぞれを中心に結びついた集団同士がぶつかりあったわけではないが、その中心人物の器の大きさは、作り上げた集団の性質に如実に現れているだろう。
人と人とが手を取り合えば大きな力を発揮する。そして大きな力を持ち、強く結束した集団を纏め上げるリーダーは、単独でも優れている。もとよりふたりには大きな能力差があったのだ。
罪滅し編ではどうにか上手くいきかけたところで余計なちょっかいをだされてしまいましたが、あちらでの状況と違って雛見沢の仲間たちにあの場を託されたこちらの大石さんは、まさに本気の本気とでも言うべき状態であり、集団を纏め上げて背負うリーダーとしての
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September 24, 2012
December 29, 2011
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